釜生田辻垣内瓦窯跡について 釜生田辻垣内瓦窯跡(かもだつじがいとがようあとしゅつど・Kamodatsujigaitogayouato syutudo)は宮殿や寺院の屋根のおおむねの両端を装飾する鴟尾(しび)が出土された史跡です。 この鴟尾は当時窯跡で焼かれた完全な形のものである事がかなり貴重で、1300年前にどのように...
松阪市の記事一覧
天白遺跡について 天白遺跡(てんぱくいせき・Tenpaku iseki)は縄文時代後期中ごろから縄文時代晩期初頭の約1200年間、「祈りの場」となっていた祭祀遺跡です。 この遺跡では東西に90m、南北に100mとかなりの広範囲におよび、様々なマツリが行われていたことが確認されています。 天白遺跡へのアクセス 住所:〒5...
豊地神社について 豊地神社(とよちじんじゃ・Toyochi jinjya)は建速須佐之男命(スサノオノミコト)を祀っているほか、竜神を祀っている神社です。 参道がかなり長く、参道脇には花木がきれいに整備されています。 豊地神社へのアクセス 住所:〒515-2354 三重県松阪市嬉野下之庄町275 最寄り駅:JR名松...
JR名松線・権現前駅について JR名松線・権現前駅(ごんげんまええき・Gongenmae eki)は嬉野権現前町にある、JR東海・名松線の駅です。 JR名松線・権現前駅へのアクセス 住所:〒515-2323 三重県松阪市嬉野権現前町 JR名松線・権現前駅周辺のおすすめスポット ...
浄眼寺について 浄眼寺(じょうげんじ)は南北朝時代に伊勢国司だった北畠政勝が七堂伽藍を建て、功名な僧であった大空玄虎(だいくうげんこ)を招いて、北畠氏の菩提寺としました。 その後、木下藤吉郎率いる織田信長軍により広大な殿堂は焼失しましたが、宝暦年間に再興され、現在は浄眼寺所蔵の北畠政勝寿僧が三重県文化財に指定されていま...
阿坂城について 阿坂城(あさかじょう)は北畠氏の本拠地だった津市美杉町多気と伊勢平野を結ぶ主要ルートの重要拠点に築かれた三重県の中世城館を代表する山城で、北郭(椎ノ木城)と南郭(白米城)とそれぞれ異なった構造を持つ郭によって構成されています。 南北朝時代、北畠満雅が幕府軍を迎え撃った際に、水を絶たれた北畠軍が、馬の背に...
常安寺について 常安寺(じょうあんじ・Jyouanji)は戦国時代に水軍として大活躍した九鬼氏の菩提寺で、曹洞宗では志摩屈指の名刹で、九鬼嘉隆の追善のために、息子の守隆が建てたと言われています。 西南戦争の際には、鳥羽港に寄港した明治天皇が奥書院に宿泊されています。 常安寺へのアクセス 住所:〒517-0011 三重県...
みえ松阪マラソンコースのフルマラソンコースの途中には、松阪市のランドマーク的存在である松坂城跡をはじめ、要所要所に松阪市の名所がちりばめられています。 このページではそんなコース沿いにある松阪市の名所の中でも、特におすすめのスポットを紹介しています。 みえ松阪マラソン・フルマラソンコース みえ松阪マラソンコース沿い...
国分寺について 国分寺はかつては慶雲寺と称していましたが、江戸時代に今の寺名に改められた県指定史跡のお寺で、境内の北側は伊勢寺跡の寺域と推定されています。 伊勢寺跡の創建は7世紀末ごろで、奈良時代から平安時代にかけてはかなり大規模のお寺だったと指定されています。 寺域からは、奈良三彩(ならさんさい)の須弥山(しゅみせん...
伊勢寺神社について 伊勢寺神社(いせでらじんじゃ・Isedera jinjya)は村で疫病が流行した際、疫病鎮めの神として信仰を集めていた牛頭天王社を勧請し、高福大明神と称したのが始まりと言われた、延喜式内社・大神社(伊勢国・飯高郡九座)に比定される神社です。。 後に牛頭天王社と改称されましたが、明治に旧社名に戻された...
泉の森について 泉の森(いずみのもり・Izumi no mori)はかつて大神社の境内地で、泉が湧いていたそうですが、今は枯れています。 森の入口には案内板があり、近くに小さい祠があります。 延喜式内社・飯高九三座 大神社 泉の森へのアクセス 住所:〒515-0846 三重県松阪市深長町504 最寄り駅:JR上ノ庄駅か...
真楽寺について 真楽寺はかつては隣接地の敏太神社と同じ境内にあったお寺で、明治初年に一度は三重県中南勢最大の大きさを誇る美濃田大仏が真楽寺の境内に移されました。 そして明治9年に有志が台座を新造して、敏太神社境内の今の位置に美濃田大仏は戻されました。 三重四国八十八ヶ所霊場 第82番 真楽寺へのアクセス 住所:〒515...
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