
伊賀上野城とは
「白鳳城」とも呼ばれるお城で、築城の名手として津城や二条城などを築城した事でも知られる藤堂高虎によって拡張されました。
石垣の高さは大阪城と並んで日本一、二を争う高さで、根石から天橋まで29.7mの高さを誇っています。
松阪城と並んで日本百名城の一つで、三重県を代表するお城と言えます。
伊賀上野城へのアクセス
住所:〒518-0873 三重県伊賀市上野丸之内106
最寄り駅:上野市駅から800m
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伊賀上野城の豆知識
伊賀上野城の歴史
1585年に筒井定次が築城したのが最初で、この時に三重の天守が建てられました。
そして伊予(現在の愛媛)から国替えでやってきた築城の名手として知られた藤堂高虎が、徳川家康の命を受けて、大阪城にいた豊臣秀頼に備えるべく大改修。
五重の天守も計画されたようですが、暴風雨で倒壊し、その後豊臣氏が滅びたことなどにより、再建されることはありませんでした。
伊賀上野城を大改修した藤堂高虎とは
足軽の身分から30万石を超える大名にのし上がった武将で、主君を7度変えたことでも知られていますが、かの徳川家康から「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と言われるほど絶大なる信頼を得ていたようです。
黒田孝高や加藤清正と並ぶ「築城三名人」として知られ、津城、伊賀上野城、赤木城など三重県内のお城のほか、二条城、宇和島城など全国各地の築城や改修にかかわったことで知られています。
伊賀上野城自慢は何と言っても高石垣
本丸西面の高石垣は総高約30mと大阪城と並んで日本有数の高さを誇っていて、算木積(さんぎづみ)で積み上げられた直線的な石垣が、藤堂高虎の築城技術の高さを示しているとされています。
算木積(さんぎづみ)とは粗割石(おおざっぱに割った石)の接合部を加工し、石と石の隙間を減らした積み方で、伊賀上野城は隙間には間詰石(まづめいし)が詰められ、さらに隙間をなくすような工夫がなされています。
現在の天守閣は昭和生まれ
伊賀上野城の天守閣は三重三階の形で、二重二階の小天守閣を伴った連結式の形で、昭和10年・1935年に個人の私財によって、木造で建てられた模擬天守です。