勅願院(ちょくがんいん)観音寺について
補陀洛山(ふだらくざん)勅願院観音寺は、港に出現した如意輪観音を信仰した聖武天皇が737年に創建したお寺で、後奈良・正親町・後陽成の三天皇天皇の勅願所(天皇の命令によって鎮護国家などを祈願する場所)となっていた事も、寺名の由来となっている【浄土宗】のお寺です。
寺が創設に由来する如来輪観音の像は、今も本堂で祀られており、頭が8つ、脚が4本の霊鳥に乗った観音像で、四足八鳥(しそくはっちょう)観音と呼ばれ、全国でも唯一無二の存在である事より、1992年に県の指定有形文化財に登録されています。
また徳川家康が、徳川家の「三葵」の使用を許した事より、徳川家が深く信仰したことでも知られているお寺です。
伊勢西国三十三所観音巡礼 第25番
三重県内にある観世音菩薩で構成された霊場で、お伊勢参りとともに多くの参拝者が訪れる由緒ある古巡礼です。
勅願院観音寺へのアクセス
コンビナートの煙突を望む地に並ぶ瓦屋根の家や白壁、墓地と、工業地帯になる以前の四日市の姿があります。
住所:〒510-0881 三重県四日市市六呂見1068
最寄り駅:JR南四日市駅から500m
勅願院観音寺を巡る旅ランウォーク
【ランタビウォーク】伊勢西国三十三所観音を走り歩こう(四日市編)(17.5㎞)
四日市を南から北まで、比較的フラットな道を走り進めながら4つのお寺を巡るコースです。
伊勢西国三十三所観音を走り歩こう(四日市編)について詳しくはこちら
勅願院観音寺のおすすめポイント
唯一無二の四足八鳥如意輪観音
727年小野の湊(四日市市大浜町)に現れたと伝わる四足八鳥如意輪観音、住職一代に一度の開帳という秘仏で、通常はお前立ちを拝むこととなります。
本堂の正面は阿弥陀像は、鎌倉時代に天台宗から浄土宗に転じたためで、右側に観音様の厨子があります。
厨子の前に建つお前立も四足八鳥漢音の姿で、岩上に4本の足で立つ鳥の姿。両翼を大きく広げ、中央に鳥の大きな頭、その周りに小さな頭が7つ。尾は光背のように観音様の後ろにぐるりと伸びる、その姿は孔雀のようであり、霊鳥の鳳凰をもほうふつとさせます。
鳥に乗る如意輪観音坐像は高さ30センチほどで、平安後期、香木の白檀(びゃくだん)の代わりに榧(かや)の材で作られた壇増。
四足八鳥は、仏教でいう四苦八苦につながり、観音様があらゆる苦しみを取り除いてくれると伝えられています。
特徴的な山門
竜宮型の楼門は1961年に再建されました。1665年建立の本堂も、1994年に檀信徒の浄財を得て、大修復されています。
鐘楼の梵鐘は1644年作で、戦時中の供出を逃れ、現在に至っています。
戦国時代の天皇や徳川家康にも信仰されたお寺
戦国時代の後奈良天皇は、伝染病蔓延の際には般若心経を書写して災除したことで知られていて、次の正親町(おおぎまち)天皇、後陽成天皇も引き続き勅願所としています。
徳川家からも信仰されたお寺
秀吉の時代の太閤検地で寺領は没収されましたが、徳川家康が勢州一国浄土宗大本寺の称号を与え、徳川家の家紋である「三葵(みつあおい)」の使用を許可しました。
そのため御朱印には菊の御紋と葵の紋が押されています。
また徳川家康は征夷大将軍になるや否や寺領の20石を寄進、寺の住職は正月2日に江戸城に登城し、お茶を献上するのが習わしでした。
その際に使った立派な駕籠が、今も本堂の天井に吊るされています。
かつては山の上にあったお寺
もともとは内陸部の日永の登城山(とうじょうやま)に建立されましたが、16世紀の火災を機に1522年の観音の夢告により六呂見の地に移りました。
当時の境内は砂地で、松林の中に寺がありました。
勅願院観音寺周辺のおすすめスポット
投稿者プロフィール
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合同会社ランシス代表社員。
合同会社ランシスは「ランウォーク」×「ツーリズム」×「WEB」を通じて、三重を走る、歩くモチベーションを創っていきます。
またランニングコミュニティ「セカンドウィンド四日市」の運営や、三重県ウオーキング協会事務局長として広報等を担っています。
個人ブログ | セカンドウィンド四日市サイト | 三重県ウオーキング協会サイト
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