長興寺|捕鯨などの漁師町として栄えた富田六郷の信仰を集めたお寺

長興寺(ちょうこうじ)について

富田山 長興寺(ふでんさん ちょうこうじ)は、漁師町として栄え、今もなお8月に荒海で鯨を追う捕鯨を再現した民俗行事「鯨船神事」が行われる四日市市富田地区六郷の多くの信仰を集めた。

722年に諸国を行脚していた泰澄(たいちょう)という僧侶が夢告(むこく)により、大木から1日一夜にして大日如来を彫り、安置したのが始まりと言われ、今も本尊は大日如来です。

かつては鯨供養も行われていたと言われるなど、四日市富田地区の歴史が色濃く残るお寺です。

伊勢西国三十三所観音巡礼 第27番

三重県内にある観世音菩薩で構成された霊場で、お伊勢参りとともに多くの参拝者が訪れる由緒ある古巡礼です。

長興寺へのアクセス

旧東海道が通っており、江戸時代には桑名宿と四日市宿の中間にあたる「間の宿(あいのやど)」として賑わい、焼蛤が人気でした。

桑名の焼蛤は実は富田の焼蛤ともいわれ、海とのご縁が深い土地柄です。

住所:〒510-8014 三重県四日市市富田3丁目1−16


最寄り駅:JR富田駅から400m、近鉄富田駅から500m

長興寺を巡る旅ランウォーク

伊勢西国三十三所観音を走り歩こう(四日市編)

長興寺のみどころ

本堂の中央にある大日如来像

江戸時代に曹洞宗に宗旨替えをしても、本尊は大日如来のままで、本堂の中央に大日如来が安置されています。

伊勢西国三十三所観音に数えられる聖観音立像

本尊の向かって右側に置かれている聖観音立像は、高さは70センチほど、顔がふっくらして、腰をきゅっとひねった姿、左手に水瓶(すいびょう)を持ち、下げた右手で手招きされる姿です。製造年代など詳細は不明のようです。

激動の歴史を乗り越えたお寺

この寺は創建当初は、貧困者を救う悲田院(ひでんいん)だったと伝わっています。

1564年に現在地に移るまでは、200mほど離れた鳥出神社に隣接して建っていました。

鳥出神社は捕鯨行事で知られる長い歴史を持つ神社で富田六郷の総氏神として信仰を集め、「ひでんさん」とも呼ばれることから、長興寺との深いかかわりが指摘されています。

この寺は中世には信長の兵火で焼失し、また安政の地震で被災し、さらに明治時代には庫裡が小学校に、本堂が中学校の仮校舎として使われていました。

1879年に再興されるも、昭和には伊勢湾台風で浸水するなど、多くの災難を乗り越え、現在に至っています。

バリアフリー仕様の本堂

2003年に現在の二階建ての本堂が完成し、鉄筋コンクリート造りと従来とは趣を変えましたが、それには誰もが参拝できるようバリアフリー仕様を施すという思いが込められています。

境内には地蔵尊と十六羅漢もあります。

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