垂坂観音寺|開運厄除けのご利益があるとされる垂坂山のお大師さん

垂坂観音寺について

垂坂山 観音寺(たるさかさん かんのんじ)は「垂坂山のお大師さん」「元三(がんざん)さん」の愛称で地域の信仰を集めている天台宗のお寺です。

928年に朝明郡の領主・舟木良見(ふなきよしみ)により寄進を受けた良源が堂を建てたのがはじまりとされ、最盛期にはこの地方の天台宗の拠点として栄え、最盛期には24もの坊(僧侶の住居)を数えるほどでした。

本尊には開運厄除けのご利益があるとされ、おみくじの創始者とも言われる慈恵大師良源(元三大師)を祀っており、1100年以上の歴史を誇っています。

寺には南北朝時代の作品で1100年以上の歴史を誇る木造慈恵(じえ)大師(元三大師)座像や、平安時代後期の木造薬師如来像、鎌倉時代の木造地蔵菩薩坐像など貴重な文化財があります。

伊勢西国三十三所観音巡礼 第26番

三重県内にある観世音菩薩で構成された霊場で、お伊勢参りとともに多くの参拝者が訪れる由緒ある古巡礼です。

垂坂観音寺へのアクセス

住所:〒510-8037 三重県四日市市垂坂町1285


最寄り駅:近鉄霞ヶ浦駅から3.1㎞

垂坂観音寺を巡る旅ランウォーク

伊勢西国三十三所観音を走り歩こう(四日市編)

垂坂観音寺の見どころ

多くの貴重な文化財を所在するお寺

本堂の奥の収蔵庫には、木造慈恵(じえ)大師(元三大師)座像が安置されています。

南北朝時代作で重要文化財になっている仏像は、信長の焼き討ちの際には穴を掘って、土に埋めて守ったと伝わっています。

他にも平安時代後期の木造薬師如来像、鎌倉時代の木造地蔵菩薩坐像などが伝わっており、本堂の横に観音堂が建っています。

良源大師が自作したとされる観音様

本堂の隣、観音堂に安置されている千手観音立像は良源が自作したと伝わっていますがが、調査はされておらず、時代や寸法などはいまだ不明です。

良源は母親が観音様に安産と男子出生を毎日のように祈願し、誕生したため、観音の生まれ変わりという伝承があります。

信長の兵火を乗り越え再興された歴史あるお寺

かつては地方の天台宗の拠点として栄え、最盛期には24もの坊(僧侶の住居)を数えるほどでしたが、信長の兵火にかかり、お堂などは灰燼に帰し。再興されたのは江戸時代の元禄の頃で、桑名藩主によってでした。

苦難の時代にも仏像は守られ、現在に至っています。

良源ゆかりの「大師塚」

良源が地元の行者と法力比べをした際、行者は小高い山を作ったに過ぎなかったが、良源がもっこ(土砂などを運ぶ用具)に土を盛り、法力を掛けるとさらに大きなヤマを作って見せました。

それが良源ゆかりの「大師塚」と伝わっています。

今はこんもりとした林となっており、目印のように鳥居が建っています。

周辺には鬼の魔よけの護符が

大矢知地区の垂坂町あたりの集落では、2本の角を持つ奇妙な鬼の魔よけの護符(紙札)が玄関に貼られています。

寺でも授与される「元三大師(がんざんだいし)」と呼ばれる比叡山延暦寺の良源ゆかりの厄除けの「角大師(つのだいし)」は、京都ではよく見かけるが、三重県の集落で見つけるのはまれなようです。

毎年1月初めの寒の入り(小寒)から2月節分の前日までの間に、玄関先で読経して、護符を配る寒行(かんぎょう)をするのが習わしで、かつての広大な寺の境内地を中心に千軒以上を一軒ずつめぐる

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