
荒神山観音寺とは
高神山 観音寺 (こうじんやま かんのんじ)は伊勢七福神の寿老人が祀られており、812年に弘法大師がヤマトタケルを仏像として祀ったのがはじまりと言われていますす。
当初は神事山という寺名でしたが、1691年に高野山の末寺となった際に、高野山から一字をもらい高神山と改められました。
その後この寺の裏山で起きた任侠史最大の大出入りと言われる「荒神山の喧嘩」が講談や浪曲などで「血煙荒神山」として取り上げられたことから、全国に荒神山として名が知られるようになりました。
荒神山観音寺の境内には吉良の仁吉の碑、その仁吉を倒したとされる火縄銃や弾痕が鐘楼堂に残されています。
荒神山の喧嘩とは
荒神山の喧嘩は,江戸時代末期に神戸の長吉(ながきち)と,桑名の穴太徳(あのうとく)の二人の縄張り争いから,この観音寺の裏山で200人前後の身内を投入し、入り乱れての死闘をつくしました.
神戸側の助っ人であった吉良の仁吉が討たれた事より、かたき討ちのために兄弟分の清水次郎長が、穴太徳たちに決戦を挑みましたが、両社が謝罪したため和議となりました。
荒神山観音寺へのアクセス
住所:〒513-0011 三重県鈴鹿市高塚町1777
最寄り駅:JR加佐登駅から2.3㎞
荒神山観音寺周辺のおすすめスポット
荒神山観音寺からの走行・歩行距離 350m
荒神山観音寺からの走行・歩行距離 2.2㎞

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