
答志郡の延喜式内社を巡ろう
平安時代中期に国によって編纂された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に名前が掲載されている式内社の中には、今も地元の人々を中心に厚く信仰されている由緒ある神社がほとんどです。
このページでは延喜式が編纂された当時の答志(とうしぐん)にあった式内社に比定される神社を紹介しています。
延喜式内社ってなに?
平安時代中期に国が制定した「延喜式(養老律令という法律の施行細則)」の「神名帳(じんみょうちょう)」という帳簿には、国が特に手厚く支援した神社2,861社(祭神の総数は3,132座)の名前が登録されていました。
この神名帳に名前が登録されている神社の事を「延喜式内社(えんぎしきないしゃ)」もしくは「式内社(しきないしゃ)」と呼びます。
答志郡ってどこ?
延喜式が編纂された平安時代には都道府県や市町村はなく、国・郡・里の三段階の行政組織に編成されていました。
現在の三重県は伊勢国、伊賀国、志摩国、紀伊国の一部と4つの国に分かれており、そのうち志摩国は2の郡に分かれていました。
その2郡のうち、答志郡は今の鳥羽市が入ります。
延喜式内社・答志郡三座マップ
延喜式内社・答志郡三座リスト
式内社 | 比定社 | 住所 |
粟嶋坐伊射波神社二座 | 伊雑宮 | 志摩市磯部町上之郷字上ノ里 |
伊射波神社 | 鳥羽市安楽島町字加布良古 | |
同嶋坐神乎多乃御子神社 | 佐美長神社 | 志摩市磯部町恵利原 |