三重県内の延喜式内社に比定される由緒ある神社を走って巡ろう

平安時代中期の927年に国によって編纂された延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に名前が掲載されている式内社は、今も地元の人々を中心に厚く信仰されている由緒ある神社がほとんどです。

三重県内で式内社としてその名が掲載されている神社には、伊勢神宮内宮・外宮やその別宮の他、多度大社、椿大神社など、今も三重県を代表する神社はもちろん、普段なかなか訪れる機会得られない地域にも数多く点在し、走り歩いて巡れば、よりディープな三重を発見する事も可能です!

延喜式内社ってなに?

平安時代中期に養老律令に対する施行細則として国がまとめた「延喜式」の「神名帳(じんみょうちょう)」という帳簿には、国が特に手厚く支援した神社2,861社(祭神の総数は3,132座)の名前が登録されていました。

この神名帳に名前が登録されている神社の事を「延喜式内社(えんぎしきないしゃ)」もしくは「式内社(しきないしゃ)」と呼びます。

式内社は今から1000年以上も前から朝廷から、公の神社として認識されていたという事もあり、それだけ古くから由緒ある神社であるという事ができます。

また式内社は「大社」と「小社」に区分されており、そのうち大社として記載されている神社は、今も三重県を代表する神社がほとんどです。

三重県にあった式内社・大社一覧

大神宮三座(伊勢神宮内宮)、荒祭宮、滝原宮、伊佐奈岐宮二座、月読宮二座、度会宮四座(伊勢神宮外宮)、高宮(多賀宮)、阿射加神社三座、多度神社、敢国神社、粟島坐伊射波神社二座

また現在、かつて延喜式神名帳に記載された神社と同一、後裔と推定される神社の事を「比定社(ひていしゃ)」・論社(ろんしゃ)と呼びます。

延喜式式内社は1000年以上も前に作られたものであるため、ほぼ確実と言われている比定社でも、絶対に後裔であるとは言い切れず、極めてその可能性が高いといった扱いであり、一つの式内社に対して後裔と見られる神社が複数になる事も多くあります。

三重県にあった式内社は?

延喜式が編纂された平安時代には都道府県や市町村はなく、国・郡・里の三段階の行政組織に編成されていて、現在の三重県はかつては伊勢国、伊賀国、志摩国、紀伊国の一部と4つの国に分かれていました。

国別にみていくと、式内社の数は下記の通りとなっています。

伊勢国・・・253座(大18座、小235座)
伊賀国・・・25座(大1座、小24座)
志摩国・・・3座(大2座、小1座)
紀伊国・・・三重県内はなし

さらに郡別にみていきますと、式内社の数は下記の表のとおりとなっています。

伊勢国の式内社

員辨郡 十座(小10座) 比定社 13社 いなべ市全域と桑名市
桑名郡 十五座(第1座・小14座) 比定社 16社 桑名市の大部分
朝明郡 二十四座(小24座) 比定社 24社 四日市市の一部、川越町・朝日町全域、菰野町の一部
三重郡 六座(小6座) 比定社 10社 四日市市と菰野町の大部分
河曲郡 二十座(小20座) 比定社 25社 鈴鹿市の一部
鈴鹿郡 十九座(小19座) 比定社 26社 亀山市の大部分と四日市市・鈴鹿市・伊賀市の一部
奄藝郡 十三座(小13座) 比定社 18社 鈴鹿市・津市・亀山市の一部
安濃郡 十座(小10座) 比定社 13社 津市の一部
壹志郡 十三座(大3座・小10座) 比定社 17社 津市・松阪市の一部
飯高郡 九座(小9座) 比定社 7社 松阪市の大部分と多気町
飯野郡 四座(小4座) 比定社 7社 松阪市の一部
多氣郡 五十二座(小52座) 比定社 38社 明和町と松阪市の一部
度會郡 五十八座(大14座・小34座) 比定社 59社 鳥羽市

伊賀国の式内社

阿拝郡 九座(第1座・小8座) 比定社 9社 伊賀市の北部
伊賀郡 十一座(小11座) 比定社 10社 伊賀市の南部
山田郡 三座(小3座) 比定社 24社 伊賀市の一部
名張郡 二座(小2座) 比定社 2社 名張市の大部分

志摩国の式内社

答志郡 三座(大2座・小1座) 比定社 3社 伊賀市の北部

 

投稿者プロフィール

らんしす 多田夏彦
合同会社ランシス代表社員。
合同会社ランシスは「ランウォーク」×「ツーリズム」×「WEB」を通じて、三重を走る、歩くモチベーションを創っていきます。
またランニングコミュニティ「セカンドウィンド四日市」の運営や、三重県ウオーキング協会事務局長として広報等を担っています。

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