常安寺について 常安寺(じょうあんじ・Jyouanji)は戦国時代に水軍として大活躍した九鬼氏の菩提寺で、曹洞宗では志摩屈指の名刹で、九鬼嘉隆の追善のために、息子の守隆が建てたと言われています。 西南戦争の際には、鳥羽港に寄港した明治天皇が奥書院に宿泊されています。 常安寺へのアクセス 住所:〒517-0011 三重県...
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城山公園について 城山公園は標高40mの鳥羽三山の一つ・城山の高台にある公園で、鳥羽城跡のある場所で、広場や遊歩道などが整備されています。 鳥羽湾を一望できる景観は抜群で、ハートTOBAのモニュメントはフォトスポットとしても人気です。 桜の名所としても知られ、シーズンには多くの人が訪れます。 城山公園へのアクセス 住所...
三ノ丸広場について 三ノ丸広場(さんのまるひろば・San no maru hiroba)は戦国最強とも言われた九鬼嘉隆が築いた鳥羽城の石垣を整備した場所で、今は広場となっています。 鳥羽城は海に向かって大手門(正面の門の事)が開かれた、全国的にも珍しいお城です。 三ノ丸広場へのアクセス 住所:〒517-0011 三重県...
みえ松阪マラソンコースのフルマラソンコースの途中には、松阪市のランドマーク的存在である松坂城跡をはじめ、要所要所に松阪市の名所がちりばめられています。 このページではそんなコース沿いにある松阪市の名所の中でも、特におすすめのスポットを紹介しています。 みえ松阪マラソン・フルマラソンコース みえ松阪マラソンコース沿い...
国分寺について 国分寺はかつては慶雲寺と称していましたが、江戸時代に今の寺名に改められた県指定史跡のお寺で、境内の北側は伊勢寺跡の寺域と推定されています。 伊勢寺跡の創建は7世紀末ごろで、奈良時代から平安時代にかけてはかなり大規模のお寺だったと指定されています。 寺域からは、奈良三彩(ならさんさい)の須弥山(しゅみせん...
伊勢寺神社について 伊勢寺神社(いせでらじんじゃ・Isedera jinjya)は村で疫病が流行した際、疫病鎮めの神として信仰を集めていた牛頭天王社を勧請し、高福大明神と称したのが始まりと言われた、延喜式内社・大神社(伊勢国・飯高郡九座)に比定される神社です。。 後に牛頭天王社と改称されましたが、明治に旧社名に戻された...
泉の森について 泉の森(いずみのもり・Izumi no mori)はかつて大神社の境内地で、泉が湧いていたそうですが、今は枯れています。 森の入口には案内板があり、近くに小さい祠があります。 延喜式内社・飯高九三座 大神社 泉の森へのアクセス 住所:〒515-0846 三重県松阪市深長町504 最寄り駅:JR上ノ庄駅か...
真楽寺について 真楽寺はかつては隣接地の敏太神社と同じ境内にあったお寺で、明治初年に一度は三重県中南勢最大の大きさを誇る美濃田大仏が真楽寺の境内に移されました。 そして明治9年に有志が台座を新造して、敏太神社境内の今の位置に美濃田大仏は戻されました。 三重四国八十八ヶ所霊場 第82番 真楽寺へのアクセス 住所:〒515...
妙楽寺について 妙楽寺は境内の奥に本居宣長の奥墓があり、本居宣長の菩提寺である樹敬寺の隠居寺でもあり、本居宣長はこの寺の住職と親交が深く、頻繁に訪れた記録が残っています。 観音堂に残された「血天井」は、織田信長に滅ぼされた山室城の廊下いたであると伝えられています。 妙楽寺へのアクセス 住所:〒515-0052 三重県松...
松阪ちとせの森について 松阪ちとせの森は、山の中の豊かな森林などの自然を生かして「かほりの森」「さざんかの森」「つばきの森」「さくらの森」「四季の森」「木の実の森」の6つのエリアがあります。 他にも本居宣長の奥墓などがあり、それぞれに特色があり、森林浴や動植物の観察などを楽しめ、遠足やハイキングに多くの人たちが集まって...
本居宣長奥墓について 本居宣長奥墓は、松阪の生んだ偉人・本居宣長がこよいなく愛し、墓場と決めて遺言を残した山室山に、遺言の通りに造られたお墓です。 また背後には、本居宣長が鈴と並んで愛していたと言われる山桜が植えられています。 本居宣長奥墓へのアクセス 住所:〒515-0052 三重県松阪市山室町1374 最寄り駅...
松尾神社について 松尾神社(まつおじんじゃ・Matsuo jinjya)は約400段の階段を上った、標高113mのところに本殿がある神社で、延喜式内社・波多(はた)神社(伊勢国・飯高郡九座)に比定される神社です。 古来より地元・立野郷の産土神として信仰された、由緒ある神社で、山の神・大山咋命(オオヤマツミ)が祀られてい...
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