吉津屋見附跡とは 吉津屋見附跡(よつやみつけあと・Yotsuya mitsukeato)は江戸と京都の間に東海道の制度が設置された後、桑名城下を通る東海道の見附(見張り番所)として吉津屋門が建てられ門の南側に桑名藩の役人が詰める番所が建てられました。 東海道はこの門をめぐり、四角形の三辺をまわり、いわゆる廾形道路となっ...
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七里の渡しとは 七里の渡し(しちりのわたし・shichiri no watashi)は東海道五十三次で知られる名古屋の熱田・宮の渡しから海上七里を船に乗り、桑名の渡しについたことから「七里の渡し」と呼ばれています。 この七里の渡しは東海道唯一の海路で、この辺りは昔から東西を結ぶ交通の要衝だったようです。 東海道の42番...
蓑虫庵とは 蓑虫庵(みのむしあん・Minomushian)は全国を旅した松尾場芭蕉が帰郷した時に住居とした「芭蕉翁五庵」の中で、唯一現存する庵です。 庵開きの祝いとして芭蕉が贈った句「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」にちなんで名付けられました。 蓑虫庵へのアクセス 住所:〒518-0848 三重県伊賀市上野西日南町182...
俳聖殿とは 俳聖殿(はいせいでん・Haiseiden)は1644年に生まれた伊賀市の偉人・俳聖松尾芭蕉生誕300年を記念して建設された建物です。 この建物は芭蕉の旅姿を表して建てられ、丸い屋根は旅笠、「俳聖堂」の木額は顔、八角系のひさしは蓑と衣装、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表しています。 俳聖殿へのアクセス 住所:〒...
廣幡神社庄部お旅所とは 廣幡神社庄部お旅所(ひろはたじんじゃしょうべおたびしょ・Hirohata jinjya shoube otabisyo)毎年10月1日には、廣幡神社本宮から庄部お旅所(庄部神社)へ御輿の渡興行事が行われます。 境内には土俵があり、昔には江戸大相撲の興行が行われました。 廣幡神社庄部お旅所へのアク...
鍵屋の辻とは 鍵屋の辻(かぎやのつじ・Kagiya no tsuji)は伊賀城下町のはずれ、奈良街道と小田新居への道を交差する辻を鍵屋辻と呼んでいます。 渡辺数馬が義兄荒木又右衛門の助太刀を得て、弟を殺した河合又五郎に仇討ちをなしたところで、日本三大仇討の一つ「伊賀越仇討」の舞台となった場所です。 鍵屋の辻へのアクセス...
旧小田小学校本館とは 旧小田小学校本館(きゅうおたしょうがっこうほんかん・kyuu otasyougakkou honkan)は現存する中では、三重県で最も古い小学校校舎です。 木造洋風二階建ての寄棟造りで、屋根中央の太鼓楼や、正面ポーチとバルコニー、当時のギヤマンから復元した色ガラスなど、見どころ満載です。 校舎内に...
旧崇廣堂とは 旧崇廣堂(きゅうすうこうどう・Kyu suukoudou)は「赤門」の愛称で親しまれ続けてきました。 江戸時代に伊賀・大和(奈良)・山城(京都)の領地に住む師弟を教育するために建てられた藩校で、創建当時のままの講堂などを見る事ができます。 国の史跡にも指定されています。 旧崇廣堂へのアクセス 住所:〒51...
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