官舎神社について 官舎神社(かんしゃじんじゃ・Kansha jinjya)は斎王の離宮の官舎が近くにあった事が社名の由来となっている神社で、「離宮さん」「旅の宮」「大漁宮」などの愛称で親しまれています。 東側の離宮院公園が参道となっていて、離宮院跡と境内が一体化しており、明治の近代社格制度では県社に格付けられました。 ...
城郭・史跡の記事一覧
天華寺廃寺について 天華寺廃寺(てんげじはいじ・Tengeji haiji)は通称・天花寺山と呼ばれる小高い丘陵の麓にあった古代寺院・天華寺廃寺の跡地です。 東西に塔(東)、金堂(西)を配する古代寺院だったようです。 天華寺廃寺へのアクセス 住所:〒515-2302 三重県松阪市嬉野天花寺町 最寄り駅:近鉄伊勢中川...
忘れ井について 忘れ井(わすれい・Wasurei)は白河天皇の皇女。絢子内親王が斎王となるべく、伊勢へ群行の時、この地で井戸水を求め、自分の心の迷いを鎮め二度と都を振り返ることなく一首を詠み「忘れ井」と名付けたと言われています。 忘れ井へのアクセス 住所:〒515-2303 三重県松阪市嬉野宮古町984 最寄り駅:...
松ヶ島城跡について 松ヶ島城跡(まつがしまじょうあと・Matsugashima jyou ato)はかつては蒲生氏郷が南伊勢の拠点として栄えましたが、松坂城の完成によって廃城となりましたが、 伊勢の名家であった北畠具教が築城したものの、織田信長軍が攻めてきたときに自ら焼き一度廃城となり、その養子に入った織田信長の次男・...
平家六代の墓について 平家六代の墓(へいけろくだいのはか・Heike rokudai no haka)は平維盛の子・六代とその一族の墓とされる塔で、日川寺の境内にあります。 平家六代は平家の嫡流で、平清盛→重盛→維盛そして六代と続いたことより、源平合戦で平氏が破れてなければ、日本を統治する存在となっていた可能性もあった...
戸井左近の墓について 戸井左近の墓(といさこんのはか・Toi sakon no haka)は、干ばつで暴徒と化した農民から農業用水の川の堰を守るべく切腹した武士のお墓です。 今でも7月23日の命日には、地元の方々によって手厚く供養が行われています。 戸井左近の墓へのアクセス 住所:〒515-2402 三重県松阪市嬉野森...
釜生田辻垣内瓦窯跡について 釜生田辻垣内瓦窯跡(かもだつじがいとがようあとしゅつど・Kamodatsujigaitogayouato syutudo)は宮殿や寺院の屋根のおおむねの両端を装飾する鴟尾(しび)が出土された史跡です。 この鴟尾は当時窯跡で焼かれた完全な形のものである事がかなり貴重で、1300年前にどのように...
天白遺跡について 天白遺跡(てんぱくいせき・Tenpaku iseki)は縄文時代後期中ごろから縄文時代晩期初頭の約1200年間、「祈りの場」となっていた祭祀遺跡です。 この遺跡では東西に90m、南北に100mとかなりの広範囲におよび、様々なマツリが行われていたことが確認されています。 天白遺跡へのアクセス 住所:〒5...
縄生廃寺跡について 縄生廃寺跡(なおはいじあと)は、7世紀後半から8世紀初頭に創建された白鳳期の古代寺院の跡で、昭和61年に行われた発掘調査で、軒丸瓦などからその存在が確認されました。 江戸時代には金光寺跡として知られた場所で、戦前に瓦片が大量に出土しました。 縄生廃寺跡へのアクセス 住所:〒510-8101 三重県三...
阿坂城について 阿坂城(あさかじょう)は北畠氏の本拠地だった津市美杉町多気と伊勢平野を結ぶ主要ルートの重要拠点に築かれた三重県の中世城館を代表する山城で、北郭(椎ノ木城)と南郭(白米城)とそれぞれ異なった構造を持つ郭によって構成されています。 南北朝時代、北畠満雅が幕府軍を迎え撃った際に、水を絶たれた北畠軍が、馬の背に...
鳥岡観音について 鳥岡観音は中央に如意輪観音、右に十一面観音、左に魚籃観音を配しています。 明治地誌によると、北畠家の大家老で阿坂城城主で、豊臣秀吉(当時は木下藤吉郎)に生涯唯一の戦傷を負わせたとされる大宮入道含忍斉の遺体を埋めたところで、鳥岡墓とも呼ばれています。 鳥岡観音へのアクセス 住所:〒515-2342 三重...
田丸城跡について 田丸城跡は南北朝時代に南朝の拠点として北畠親房や北畠顕信によって築かれたと言われる平山城で、戦国時代には織田信長の次男、信雄(のぶかつ)が三層の天守を築いて、居城としていましたが、1580年に放火で炎上し、信雄は松ヶ島城に居城を変えました。 明治維新で廃城となりましたが、南伊勢随一の名城で、三重県指定...
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