城郭・史跡の記事一覧
御城番屋敷とは 御城番屋敷(ごじょうばんやしき・Gojyouban yashiki)は江戸時代末期に紀州藩から松阪城の警護をするために派遣された人々が住んでいました。 その昔には徳川家康に従い各地を転戦した精鋭部隊、蜂須賀衆の子孫がここに住んでいました。 国指定重要文化財の一つです。 御城番屋敷へのアクセス 住所:〒5...
宝塚古墳公園とは 宝塚古墳公園(たからづかこふんこうえん・Takaraduka kofun kouen)は国の史跡である宝塚古墳の史跡としての価値を明らかにし、多くの人々に古代の歴史や文化に触れられる憩いの空間を作ることを目的に整備され、平成17年4月に開園しました。 宝塚1号古墳の遺頂からは、松阪城跡や市街地、堀坂山...
松阪商人の館とは 松阪商人の館(まつさかしょうにんのやかた・Matsusakashounin no yakata)は江戸時代に三井家、長谷川家、長井家などとともに、いちはやく江戸に出店を構え、財を成した松阪屈指の豪商であった小津清左衛門家の旧家です。 松阪商人の繁栄ぶりを今にとどめる数少ない遺構として、平成3年に松阪市...
隆子女王の墓とは 隆子女王の墓(たかこじょおうのはか・Takako zyoou no haka)は醍醐天皇の孫女で第43代斎王として伊勢に遣わされ、3年の在位で病死されたとされる隆子女王(たかこじょおう)の墓です。 算所にある墓は宮内庁が管理、清楚なたたずまいをみせています。 斎王とは 天皇に代わって伊勢神宮に仕えるた...
八脚門跡とは 八脚門跡(はっきゃくもんあと・Hakkyakumon ato)はかつての斎宮の南門で、東西には板堀が伸びたと推定されています。 この門の発見により、斎宮が東西7区画に及ぶ広大な都市であった事が分かったとされる、見た目は地味ですが、かなり貴重な史跡となっています。 斎宮(さいくう)とは 「いつきのみや」とも...
西山古墳とは 西山古墳(にしやまこふん・NIshiyama kofun)はふたつの四角を組み合わせた、全国でも珍しい全長43.6m、前方部26.1mの前方後方墳です。 墳丘の形態などから4世紀前半の古墳と想定されており、古墳の多い松阪市嬉野町内の前方後方墳の中でも、最古の形式の古墳である可能性があります。 西山古墳への...
松浦武四郎生誕地とは 松浦武四郎生誕地(まつうらたけしろうせいたんち・Matsuuratakeshirou seitanchi)は北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の故郷の実家で、現在は松阪市の所有となっています。 松浦武四郎とは 幕末から明治にかけての探検家で、地誌学者、作家、出版社などいろいろな顔を持っていた...
忘井とは 忘井(わすれい・Wasurei)は天永元年(1110)に斎王群行が行われた際、行列に同行した官女甲斐が壱志駅家の頓宮に宿泊し「別れゆく 都の方の恋しきに いざ結びみむ忘井の水」の歌を詠んでいます。 現在残されている井戸が「忘井の水」とされ、松阪市指定史跡に指定されています。 忘井へのアクセス 住所:〒515-...
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