油屋跡について 油屋跡(あぶらやあと・Aburaya ato)は江戸時代、江戸の吉原や京都の島原と並んで三大遊郭の一つとなった古市にあった遊郭、明治時代には皇族や貴賓の宿も一手に引き受けた油屋の跡地で、現在は石碑を残すのみです。 油屋で起こった刃傷沙汰をもとに歌舞伎、文楽の「伊勢音頭恋寝刃(こいのねたば)が作られた事で...
城郭・史跡の記事一覧
隠岡遺跡公園について 隠岡遺跡(かくれがおかいせき)公園は伊勢神宮よりずっと昔の弥生時代と平安時代の複合遺跡で、伊勢市内ではじめて見つかった3世紀末の集落跡です。 遺物として壺や甕・高杯などの土器、斧などの石器が出土されました。 隠岡遺跡公園へのアクセス 住所:〒516-0032 三重県伊勢市倭町19−7 最寄り駅...
名張藤堂家邸について 名張藤堂家邸は津藩藤堂家の一門で明治維新まで11代にわたって名張に居を構えた藤堂宮内家の屋敷跡です。 名張藤堂家に伝わった調度品や武具、文書などを展示し、近世上級武家の生活の一部に触れられるよう公開しています。 名張藤堂家邸へのアクセス 住所:〒518-0718 三重県名張市丸之内54−3 最...
安楽島の舞台について 安楽島(あらしま)の舞台は江戸時代末期に建造された舞台で、青年団による地芝居(プロの指導や応援を得て行う歌舞伎や狂言、人形芝居など)が行われていました。 市指定文化財に指定されていて、地元の祭りなどで今も使われています。 安楽島の舞台へのアクセス 住所:〒517-0021 三重県鳥羽市安楽島町 ...
三ノ丸広場について 三ノ丸広場(さんのまるひろば・San no maru hiroba)は戦国最強とも言われた九鬼嘉隆が築いた鳥羽城の石垣を整備した場所で、今は広場となっています。 鳥羽城は海に向かって大手門(正面の門の事)が開かれた、全国的にも珍しいお城です。 三ノ丸広場へのアクセス 住所:〒517-0011 三重県...
本居宣長奥墓について 本居宣長奥墓は、松阪の生んだ偉人・本居宣長がこよいなく愛し、墓場と決めて遺言を残した山室山に、遺言の通りに造られたお墓です。 また背後には、本居宣長が鈴と並んで愛していたと言われる山桜が植えられています。 本居宣長奥墓へのアクセス 住所:〒515-0052 三重県松阪市山室町1374 最寄り駅...
高山土公神陵について 高山土公神陵(たかやまどこうしんりょう)は椿大神社の参道の中間点あたりにある前方後円墳で、椿大神社に祀られるサルタビコ(猿田彦大神)のお墓です。 椿大神社の山本神主家は、大神直系の神主家として、古来よりずっと守り続けています。 高山土公神陵へのアクセス 住所:〒519-0315 三重県鈴鹿市山本町...
相可の道標について 相可(おうか)の道標は、伊勢本街道の宿場町・相可にあって、伊勢参宮道、熊野道、松坂道の分岐点で、一番栄えた時には、ここが広場となり、盆踊りなどが開催されました。 街道の南側は江戸時代の豪商、大和屋の屋敷跡で、近年まで町役場が置かれていました。 相可の道標へのアクセス 住所:〒519-2181 三重県...
射和文庫(竹川邸)について 射和文庫(竹川邸)は江戸時代に江戸で両替商を営んで成功した竹川家の邸宅で、幕末の党首・竹川竹川竹斎は国学のほか、農業・土木も極め、勝海舟、小栗上野介達とも親交があったと言われています。 射和文庫(竹川邸)へのアクセス 住所:〒519-2145 三重県松阪市射和町284−1 最寄り駅:JR...
国分家について 国分家は江戸日本橋に呉服店「大國屋」を開き、さらに「亀甲大」マークで醤油製造販売業を行い、大きな富を築きました。 明治以降は、総合食品卸業に転換し、現在に至っています。 竹口家(中万文庫)へのアクセス 住所:〒519-2145 三重県松阪市射和町 最寄り駅:JR相可駅から900m 国分家周辺のおすす...
冨山家について 冨山家は江戸時代、江戸塩町で金融業をはじめ成功したと言われる豪商です。 道沿いには蔵も建っています。 冨山家へのアクセス 住所:〒519-2143 三重県松阪市中万町 最寄り駅:近鉄相可駅から1.8㎞ 服部本家屋敷周辺のおすすめスポット ...
三重ランウォーク検索
ラン⇔ウォークシステム
運営会社:合同会社ランシス