竹口家(中万文庫)について 竹口家は江戸に出て、味噌業・乳熊(中万の旧地名)屋作兵衛商店に開業し成功を収めた豪商で、勝海舟や西郷隆盛とも親交があったとされています。 現在も「ちくま味噌」として操業を続けています。 竹口家(中万文庫)へのアクセス 住所:〒519-2143 三重県松阪市中万町1382 最寄り駅:JR相...
城郭・史跡の記事一覧
服部本家屋敷について 服部本家屋敷は、江戸の紙問屋「湊屋源三郎」の主人、服部家の住居です。 服部家は江戸時代初期に、松阪から江戸に進出し、紙など多種の問屋で「江戸十組問屋」に名を連ねる大店でした。 服部本家屋敷へのアクセス 住所:〒515-0208 三重県松阪市 最寄り駅:近鉄櫛田駅から2.5㎞ 服部本家屋敷周辺のおす...
谷川士清旧宅について 谷川士清(たにがわことすが)旧宅は、江戸時代の国学者で、はじめて五十音順の国語辞典(和訓の栞)を作った谷川士清が生活していた建物が復元されたものです。 士清の著書なども展示されています。 谷川士清旧宅へのアクセス 住所:〒514-0041 三重県津市八町3丁目9−18 最寄り駅:近鉄津新町駅か...
斎宮跡歴史ロマン広場とは 斎宮跡歴史ロマン広場は、史跡全体を10分の1のスケールの模型で再現し、斎宮の規模と当時の姿を実感できる施設として開園しました。 ここでは過去30年以上の発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとした中心区画の建物も、10分の1サイズで配置しています。 斎宮跡歴史ロマン広場へのアクセス 住...
坂本古墳公園とは 坂本古墳公園は5基の古墳が三重県指定史跡に指定され、1号墳出土の金銅装頭椎大刀は三重県指定有形文化財に指定されている坂本古墳群のある公園です。 かつては約150基からなる大群集墳でしたが、開墾によりほとんどが消滅し、現在は数基を残すのみです。 古墳群でも中心的な古墳である1号墳は、三重県内では古墳時代...
さいくう平安の杜とは さいくう平安の杜は斎宮跡にあり、三棟の平安時代の建物を復元し、古来の斎宮の姿を再現しています。 斎宮の役所「斎宮寮」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたとされる建物の再現で、平安時代の古代建築の世界が広がっています。 斎宮歴史博物館へのアクセス 住所:〒515-0321 三重県多気郡明和町斎宮28...
六地蔵石幢とは 六地蔵石幢(ろくじぞうせきとう)は室町時代後期に建てられた、高さ194㎝の燈籠形の等で、六角形の石の各面に地蔵が刻まれているのが特徴です。 昭和62年に県の有形文化財にも指定されたフォルムは、三重県にある石どうの中でもトップクラスの美しさと言われています。 六地蔵石幢へのアクセス 住所:〒515-032...
上津部田城址公園について 上津部田城(こうづべたじょう)は戦国時代に築かれた城であることは分かっているようですが、城主などの詳細は不明なお城です。 昭和56年に道路工事のため、津市教育委員会により発掘調査された結果、城の先端の主郭部分を公園として整備保存されています。 上津部田城址公園へのアクセス 三重県相貌文化センタ...
坂下宿本陣跡について 坂下宿(さかしたじゅく)は鈴鹿峠のふもとに位置する、東海道五十三次の48番目の宿場町で、かつては鈴鹿峠を往来する多くの人々でにぎわったそうです。 東海道屈指の難所と言われた鈴鹿峠を控えて、参勤後代の大名などの宿泊客も多く、江戸時代の全盛期には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒がありましたが、土石流の...
粥見井尻遺跡について 粥見井尻遺跡(かゆみいじりいせき)は平成8年に、日本最古のものとみられる縄文時代草創期の土偶がほぼ完全な形で発見された遺跡です。 その時代の人の暮らしや社会などを解明するうえで、重要な位置づけにあると、全国から注目を集め始めています。 粥見井尻遺跡へのアクセス 住所:〒515-1411 三重県松阪...
北畠 具教の首塚について 北畠 具教の首塚(きたばたけ とものりのくびづか・Kitabatake tomonori no kubiduka)は、戦国時代に信長によって暗殺された北畠具教の首を、なんとか信長から守るべく、三瀬谷から運び、ここに埋めたと伝えられています。 また三瀬谷には「胴塚」が残っています。 北畠 具教の...
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