亀山城跡について 亀山城跡は現在県内で唯一現存する城郭建造物で、石垣の上にそびえたつ多門櫓がとくに有名で、昭和28年に県史跡に指定されている城跡です。 この亀山城の天守閣は1633年に堀尾忠晴によって、丹波の亀山城と間違えて取り壊されてしまい、その後本丸としては再建することができず、代わりに今も残る多門櫓が建てられまし...
城郭・史跡の記事一覧
正法寺山荘跡について 正宝寺山荘跡(しょうぼうじさんそうあと)は鎌倉から戦国時代にかけて、鈴鹿や亀山地域一円を治めた豪族・関氏の砦をかねた山荘の跡地です。 昭和52年からの発掘調査によって発見され、戦国武士の生活を解明するうえでも貴重な史跡で、昭和56年に国の史跡指定を受けています。 約200本の桜の名所として知られて...
ランニングとウォーキングで三重の聖地を巡ろう 三重を楽しく走り歩き続けるためには、絶対に目的はあった方がいい。ただレースや大会に出るのはちょっと・・・ そんな方にお勧めなのが、自分自身で到達する目的を設定して、マイペースに自由気ままに走って、歩いて三重の聖地を巡ろうというもの。 せっかく三重を走り歩くなら、ご利益のあり...
北畠氏館詰城跡について 北畠氏館詰城跡は、北畠氏館跡の裏山の尾根上に立地し、館跡から標高差約80mのきつめの山道を登って行った先にあります。 さらに険しくなる山道を登って行った先には、国の史跡になっている霧山城跡があります。 北畠氏館詰城跡へのアクセス 住所:〒515-3311 三重県津市美杉町下多気 最寄り駅:J...
北畠氏館跡庭園(きたばたけしやかたあとていえん)について 北畠氏館跡庭園は室町時代、伊勢国司だった北畠晴具の義父・管領細川高国が 作った庭園で、武将の手によって作られた庭らしく、素朴かつ豪快な魅力があり、240年近く伊勢国を支配してきた北畠氏の勢力を誇示する史跡の一つです。 庭園は北畠神社境内にあり、霧山城跡とともに、...
霧山城跡(きりやましろあと)について 霧山城跡は南北朝時代に初代伊勢国司となった北畠顕能が築いた山城で、標高560mの天然の要害として、約240年間・9世代にわたって北畠氏の南伊勢の拠点となった城で、現在は土塁の跡などが残っています。 霧山城跡は山のふもとにある「多気北畠氏城館跡」とともに国の史跡に指定されています。 ...
一身田寺内町の館について 高田本山専修寺を中心に発展した寺内町の地域固有の歴史や文化の紹介や、案内などを行っている施設です。 寺内町は古き良き日本の姿を残す街で、環濠はほぼ完全な形で残り、多くの文化財や歴史的な街並みを現在に伝えています。 一身田寺内町の館へのアクセス 住所:〒514-0114 三重県津市一身田町758...
日本武尊御墓(やまとたけるのみこと おんぼ)について 日本武尊御墓は日本神話最強と名高い日本武尊(ヤマトタケル)が伊勢国能褒野で亡くなったという古事記や日本書紀の神話に基づき、三重北部最大の前方後円墳がヤマトタケルの墓として定められました。 現在は宮内庁によって管理されており、近くには能褒野神社やのぼのの森公園などがあ...
向山(むかいやま)古墳について 向山古墳は丘陵地のかなり見つけにくい場所に位置する前方後円墳で、墳丘は自然地形を利用して築造されている国指定史跡です。 4世紀後半の古墳と考えられており、出土遺跡はすべて東京国立博物館に所蔵されています。 向山古墳へのアクセス 住所:〒515-2356 三重県松阪市小野町672 最寄...
阿漕塚について 阿漕塚は母の病を治すため禁漁の阿漕浦でヤガラを捕ったため罰せられた阿漕平治を祀った塚で、「阿漕(あこぎ)」の言葉の語源となった場所です。 毎年8月16日に阿漕平治の霊を供養する阿漕平治盆供養が開催されています。 阿漕塚へのアクセス 住所:〒514-0803 三重県津市柳山津興622 最寄り駅:JR阿...
いがごへ六軒の追分について いがごへ六軒の追分は参宮街道と初瀬(はせ)街道の分岐点で、お伊勢参りに訪れた人々の道しるべとしての役割を担っていました。 いがごへ六軒の追分へのアクセス 住所:〒515-2131 三重県松阪市六軒町61−2 最寄り駅:JR六軒駅から850m、近鉄中原駅から1.4㎞ いがごへ六軒の追分につ...
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