津観音寺|浅草観音や大須観音と並ぶ日本三大観音があるお寺

津観音寺について

津観音寺(つかんのんじ・Tsukannon ji)は東海道中膝栗毛にも登場する、1300年の歴史を誇る名刹で、正式名称を「恵日山(えにちざん)観音寺 大宝院(だいほういん)」といいます。

浅草や大須と並んで日本三大観音の一つで津の観音さんとして親しまれる「聖観音立像」や、お伊勢参りの際にはこの仏さまにもお参りしないとご利益が半減すると言われる「国府の阿弥陀(こうのあみだ)如来」が有名で、開運・病気平癒・商売繁盛のご利益があるお寺です。

また広い境内には県内唯一の木造の五重塔や資料館も建てられています。

伊勢西国三十三所観音霊場 札番 第14番

三重四国八十八ヶ所霊場 札番 第67番

伊勢の津七福神 毘沙門天

津観音寺へのアクセス

津市中心部の大門商店街に建ちます。

住所:〒514-0027 三重県津市大門31−11


最寄り駅:近鉄津新町駅から1.7㎞

津観音寺を巡る旅ランウォーク

伊勢西国三十三所観音を走り歩こう(津編)(23㎞)

城下町「津」を巡るみち(13㎞)

津観音寺の見どころ

「津の観音さん」のルーツは海

津観音の御本尊は伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網にかかった聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)が祀られたものと言われています。

秘仏で観音堂(本堂)内陣にある聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)は、六観音の中でも1面2臂(顔が1つ、腕が2本)と人間に近い姿をしていて、開運・病気平癒・商売繁盛などにご利益があるとされています。

太平洋戦争で堂宇は焼失た時も、観音像は疎開していたため、戦火の難を逃れました。

阿漕ヶ浦とは

阿漕浦は、かつて伊勢神宮に備える御贄(みにえ)を調達した禁漁の海。

病身の母親のために禁を破り、密猟をしていた息子がとらえられ海に沈められた「阿漕平治」の悲しい物語が有名です。

お伊勢参りするなら国府の阿弥陀参りも

伊勢神宮に祀られる天照大御神の本来の姿「本地仏」と言われる「国府(こう) 阿弥陀三尊」が祀られている事でも知られています。

の阿弥陀仏は江戸をはじめ、各地に運ばれ、公開する出開帳(でがいちょう)が行われており、「阿弥陀に詣らねば片参宮」と言われるほど、お伊勢参りに欠かせない寺でした。

鎌倉時代、覚乗(かくじょう)という僧侶が感得した天照大御神の姿を彫ったと伝わっています。

入口の仁王門にはパワースポットも

津観音の入り口にあたる仁王門の中央にある「撫で石」は、この石を撫でた手で患部をさすると、その箇所が良くなるといわれるパワーストーンがあります。

津城の鬼門を守る役割も

津藩の城の鬼門(北東の方向)を守る役割を担い、この役割は「鬼押さえ」という節分の行事で今もその役割を果たしています。
鬼は鬼門の方角から現れるため、節分に鬼が出てくるのを観音様の力で抑える、鬼は天災や流行病の象徴とされています。

鬼押さえは江戸時代の「伊勢参宮名所図解」にも掲載されるほどの行事だったようです。

1年を通じて多くの行事が開催

津観音寺は1年を通じて多くの参拝客が訪れており、「鬼押さえ節分」や「津まつり」「つ七夕まつり」などが行われています。

三重県唯一の木造の五重塔

鮮やかな朱色に輝く三重県内唯一の五重の塔は、平成13年に世界の平和と繁栄の願いを込めて500年余年ぶりに再興されました。

津観音寺の歴史

もともと海辺にあったが室町時代の明応の大地震(1498年)に襲われ、この大地震により引き起こされた津波で港も町も、観音像も失わました。

津は日本三津(さんしん)(三大港)の一つに数えられたが、この時に一瞬で壊滅してしまいました。

寺は高台である今の地に信長の弟・信包(のぶかね)によって再建され、再スタートを切り、その際に漁師や船乗りから信仰されていた観音様は模刻(もこく)されて、秘仏の聖観音として祀られています。

太平洋戦争で堂宇は焼失しましたが、観音堂(本堂)は1968年に、仁王門は1980年に再建された

津城跡周辺のおすすめスポット

津観音寺からの走行・歩行距離 550m

 

 

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