斎宮跡歴史ロマン広場とは 斎宮跡歴史ロマン広場は、史跡全体を10分の1のスケールの模型で再現し、斎宮の規模と当時の姿を実感できる施設として開園しました。 ここでは過去30年以上の発掘調査成果をもとに、斎王が住んだ御殿をはじめとした中心区画の建物も、10分の1サイズで配置しています。 斎宮跡歴史ロマン広場へのアクセス 住...
斎宮の記事一覧
いつきのみや歴史体験館とは いつきのみや歴史体験館は、斎宮が最も栄えた平安時代にフォーカスし、平安時代の歴史・文化・技術を体験することができる施設です。 建物は平安時代の代表的な建築様式「寝殿造り」の神殿部分を、体験棟は古代の役所をイメージして作られています。 三重県産の杉と檜を使って、釘などを使わない伝統技法により建...
さいくう平安の杜とは さいくう平安の杜は斎宮跡にあり、三棟の平安時代の建物を復元し、古来の斎宮の姿を再現しています。 斎宮の役所「斎宮寮」の長官のもと、儀式や饗宴に使用されたとされる建物の再現で、平安時代の古代建築の世界が広がっています。 斎宮歴史博物館へのアクセス 住所:〒515-0321 三重県多気郡明和町斎宮28...
栗須美神社とは 粟須美神社(あわすみじんじゃ・Awasumi jinjya)は嵯峨天皇が斎王に大巳貴命(オオアナムチノミコト)を祀り鎮守の神社とするよう命ぜられた神社で、鎮守台ともいわれていました。 現在、氏神のあった所に石碑を建て伊勢神宮の遥拝所としています。 斎王とは 天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、京都の都か...
隆子女王の墓とは 隆子女王の墓(たかこじょおうのはか・Takako zyoou no haka)は醍醐天皇の孫女で第43代斎王として伊勢に遣わされ、3年の在位で病死されたとされる隆子女王(たかこじょおう)の墓です。 算所にある墓は宮内庁が管理、清楚なたたずまいをみせています。 斎王とは 天皇に代わって伊勢神宮に仕えるた...
竹神社とは 竹神社(たけじんじゃ・Take jinjya)は旧斎宮村にあった25社の神を合祀され、野々宮が祀られていた現在地が境内となっています。 周辺からは平安時代の大規模な堀列や堀立柱建物の跡が発掘され、斎宮の中枢である内院があった場所ではないかとされています。 斎宮(さいくう)とは 「いつきのみや」とも呼ばれ、斎...
八脚門跡とは 八脚門跡(はっきゃくもんあと・Hakkyakumon ato)はかつての斎宮の南門で、東西には板堀が伸びたと推定されています。 この門の発見により、斎宮が東西7区画に及ぶ広大な都市であった事が分かったとされる、見た目は地味ですが、かなり貴重な史跡となっています。 斎宮(さいくう)とは 「いつきのみや」とも...
禊川とは 祓川(はらえがわ・Haraegawa)は斎王が禊を行い、身を清めていたとされる川です。 日本の河川にしては珍しく、川岸が自然のままの林や竹藪になっていて、多種多様な水生生物が生息する自然豊かな河川で、日本の重要湿地500選にも選ばれています。 禊川へのアクセス 住所:〒515-0325 三重県多気郡明和町竹川...
忘井とは 忘井(わすれい・Wasurei)は天永元年(1110)に斎王群行が行われた際、行列に同行した官女甲斐が壱志駅家の頓宮に宿泊し「別れゆく 都の方の恋しきに いざ結びみむ忘井の水」の歌を詠んでいます。 現在残されている井戸が「忘井の水」とされ、松阪市指定史跡に指定されています。 忘井へのアクセス 住所:〒515-...
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