龍福寺について 龍福寺は揖斐川沿いにあって、「浜の地蔵」の呼び名で地域から信仰される。地蔵尊石像を安置しているお寺です。 桑名藩主だった松平定綱が深く信仰した事でも知られていますが、度重なる揖斐川護岸工事や伊勢湾台風の災禍などにより、現在の地に再興されました。 境内には松尾芭蕉ゆかりの白魚句碑や白魚束があります。 三重...
真言宗の記事一覧
法龍寺について 法龍寺(ほうりゅうじ)は地蔵菩薩が本尊のお寺で、江戸時代末頃までは地蔵を祀る小堂があり、地域の信仰を集めていました。 明治時代に入ってから、堂守が仏門に帰依し、難病平癒や厄難排除など、多くの人々を救ったと伝えられています。 三重四国八十八カ所霊場 第10番 法龍寺へのアクセス 住所:〒512-1103 ...
田村寺について 田村寺は江戸時代末期に坂上田村麻呂の霊を弔うために草庵を建てたのがはじまりで、明治の中頃に大師堂が建立されました。 本堂には弘法大師と不動明王が安置されており、冬至の日に行われる「中風封じ」法要など、弘法大師を中心とした行事が行われています。 三重四国八十八カ所霊場 第5番 田村寺へのアクセス 住所:〒...
光明寺について 光明寺(こうみょうじ)は聖武天皇時代に、行基菩薩によって開山されたと伝えられるお寺で、本尊の聖観音像は弘法大師の一刀三礼の作と言われています。 西国三十三観音霊場を再興した花山法王が一泊した際に、本尊を配すると、妖しくも光明が輝いたことより、光明寺と称するようになったと伝えられ、法皇が宿泊したことを機に...
密蔵院について 密蔵院は825年、弘法大師によって創建されたお寺で、昔海中より蟹が薬師如来を運び、この地に安置されたという故事により、本尊は「かに薬師」と呼ばれ、大治田の薬師さんとして親しまれています。 戦国時代に長島一揆の際に、織田信長の軍勢により焼き討ちされましたが、本尊と弁財天は難を逃れ、現在も多くの信者によって...
大師寺について 大師寺は地元の信仰厚い人達が弘法大師像を勧請して、堂を建立したのがはじまりで、当時より海上安全・家内安全を祈り、弘法大師のご加護により、安穏の日々を送っていたと言われています。 現在は「北納屋のお大師さん」として親しまれており、本堂には本尊の弘法大師様をはじめとし、大日如来様・薬師如来様・阿弥陀如来様・...
大師之寺について 大師之寺の寺は、明治30年に隆道和尚がこの地に立ち寄った際、小堂を建立して弘法大師を祀り、説教所として開かれました。 太平洋戦争時に空襲によって御堂は焼失したものの、本尊の弘法大師蔵は難を逃れる事ができ、戦後に名古屋の松林寺が廃寺になった際に、同寺の本尊だった弘法大師像を合祀して再建し、「大師之寺」と...
太江寺について 太江寺(たいこうじ)は1300年前に行基によって建立されたと言われ、二見浦を望む音無山の中腹に立ち、弘法大師が訪れ、醍醐天皇から勅願寺にする諭旨を賜るなど古い歴史を誇るお寺で、特に藤やアジサイの名所として有名な「花の寺」です。 伊勢神宮とのかかわりも深く、歴代神宮の奉行によって今の隆盛につながっています...
青峯山正福寺について 青峯山正福寺(あおのみねさんしょうふくじ)は地元で「あおのみねさん」の愛称で親しまれ、標高336mの青峯山の山頂にあるかなり広大なお寺で、本尊の十一面観音菩薩は相差の海から鯨に乗って現れたとして地元の伝説に登場しています。 観音様を乗せた鯨は、その後龍宮池の鯨石になったと伝えられています。 広大な...
慈眼山金胎寺について 慈眼山金胎寺(じげんざん こんたいじ)は戦国最強の水軍を率いた九鬼嘉隆をはじめ、歴代の鳥羽城主の祈願所で、鳥羽町の景勝の地にあり、境内からは鳥羽湾や街並みの風景が望めます。 高野山真言宗のお寺で約1200年前に弘法大師により開山したと言われています。 平成7年の火災により、本堂、諸仏、仏画の多くが...
密蔵院について 白山 密蔵院は津藩二代藩主藤堂高次が白山妙理大権現の祈祷書としていたところ、病魔に侵され、病気平癒の祈祷をするとたちまち平癒したことから、この地に寺を創立させ年持仏が祀られたのがはじまりと言われています。 明治の初めには本堂裏山境内に四国八十八ヶ所霊場が造立され、信者に親しまれていましたが、戦争によって...
石上寺について 那智山 石上寺(なちさん せきじょうじ・Nachi san sekijou ji)は大和国の住人・紀真龍(きのまたつ)が、石上神宮の神告により、この地に那智山熊野権現を勧請し、新熊野三社として祀ったのが始まりで、弘法大師が地蔵菩薩を刻み堂を建立して、那智山石上寺と名付けたのがはじまりと言われています。 ...
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