法龍寺について 法龍寺(ほうりゅうじ)は地蔵菩薩が本尊のお寺で、江戸時代末頃までは地蔵を祀る小堂があり、地域の信仰を集めていました。 明治時代に入ってから、堂守が仏門に帰依し、難病平癒や厄難排除など、多くの人々を救ったと伝えられています。 三重四国八十八カ所霊場 第10番 法龍寺へのアクセス 住所:〒512-1103 ...
三重四国八十八ヶ所霊場の記事一覧
円満寺について 円満寺は江戸時代初期の作と言われる本尊の大日如来像が祀られるお寺で、伊勢亀山藩から庇護を受けていたと言われるお寺です。 毎年3月の初午の日に、馬頭観音の手に紅白の綱を握らせ、道外まで垂らされた綱を参拝者が握って祈願する厄除諸願成就の行事「お手引き観音行事」が伝わっています。 三重四国八十八カ所霊場 第2...
不動院について 不動院 辺法寺(ふどういん へんぼうじ・Fudou in henbou ji)は弘法大師が伊勢神宮へ参拝する途中にこの地に留まり、不動明王を刻んで安置し、寺名を辺法寺と名付けたのがはじまりです。 その後この寺を中心に辺法寺という名の村が形成され、地域からの信仰はもちろん、歴代亀山藩主からも信仰されるなど...
国分寺について 国分寺(こくぶんじ)は標高549.4mの明星岳の中腹にあり、聖武天皇の代に行基によって開山され、聖武天皇の勅願所となりました。 戦国時代度重なる兵災にあってきましたが、その都度信者や有志の方によって復興され、現在に至っています。 毎年4月13日の縁日には多くの参詣者が集まります。 三重四国八十八カ所霊場...
田村寺について 田村寺は江戸時代末期に坂上田村麻呂の霊を弔うために草庵を建てたのがはじまりで、明治の中頃に大師堂が建立されました。 本堂には弘法大師と不動明王が安置されており、冬至の日に行われる「中風封じ」法要など、弘法大師を中心とした行事が行われています。 三重四国八十八カ所霊場 第5番 田村寺へのアクセス 住所:〒...
光明寺について 光明寺(こうみょうじ)は聖武天皇時代に、行基菩薩によって開山されたと伝えられるお寺で、本尊の聖観音像は弘法大師の一刀三礼の作と言われています。 西国三十三観音霊場を再興した花山法王が一泊した際に、本尊を配すると、妖しくも光明が輝いたことより、光明寺と称するようになったと伝えられ、法皇が宿泊したことを機に...
密蔵院について 密蔵院は825年、弘法大師によって創建されたお寺で、昔海中より蟹が薬師如来を運び、この地に安置されたという故事により、本尊は「かに薬師」と呼ばれ、大治田の薬師さんとして親しまれています。 戦国時代に長島一揆の際に、織田信長の軍勢により焼き討ちされましたが、本尊と弁財天は難を逃れ、現在も多くの信者によって...
大師寺について 大師寺は地元の信仰厚い人達が弘法大師像を勧請して、堂を建立したのがはじまりで、当時より海上安全・家内安全を祈り、弘法大師のご加護により、安穏の日々を送っていたと言われています。 現在は「北納屋のお大師さん」として親しまれており、本堂には本尊の弘法大師様をはじめとし、大日如来様・薬師如来様・阿弥陀如来様・...
大師之寺について 大師之寺の寺は、明治30年に隆道和尚がこの地に立ち寄った際、小堂を建立して弘法大師を祀り、説教所として開かれました。 太平洋戦争時に空襲によって御堂は焼失したものの、本尊の弘法大師蔵は難を逃れる事ができ、戦後に名古屋の松林寺が廃寺になった際に、同寺の本尊だった弘法大師像を合祀して再建し、「大師之寺」と...
太江寺について 太江寺(たいこうじ)は1300年前に行基によって建立されたと言われ、二見浦を望む音無山の中腹に立ち、弘法大師が訪れ、醍醐天皇から勅願寺にする諭旨を賜るなど古い歴史を誇るお寺で、特に藤やアジサイの名所として有名な「花の寺」です。 伊勢神宮とのかかわりも深く、歴代神宮の奉行によって今の隆盛につながっています...
世義寺について 世義寺は聖武天皇の勅願によって鎮護国家の祈願時として行基菩薩が建立したと伝わっています。 かつては塔頭19カ所を有する大寺でしたが、明治維新の廃仏毀釈によって護摩堂を残し、廃寺となりました。 その後新たな聖天堂や参道もでき、復興の道をたどっています。 毎年七夕に行われる紫燈大護摩は「ごまさん」と呼ばれ親...
慈眼山金胎寺について 慈眼山金胎寺(じげんざん こんたいじ)は戦国最強の水軍を率いた九鬼嘉隆をはじめ、歴代の鳥羽城主の祈願所で、鳥羽町の景勝の地にあり、境内からは鳥羽湾や街並みの風景が望めます。 高野山真言宗のお寺で約1200年前に弘法大師により開山したと言われています。 平成7年の火災により、本堂、諸仏、仏画の多くが...
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