真楽寺について 真楽寺はかつては隣接地の敏太神社と同じ境内にあったお寺で、明治初年に一度は三重県中南勢最大の大きさを誇る美濃田大仏が真楽寺の境内に移されました。 そして明治9年に有志が台座を新造して、敏太神社境内の今の位置に美濃田大仏は戻されました。 三重四国八十八ヶ所霊場 第82番 真楽寺へのアクセス 住所:〒515...
三重四国八十八ヶ所霊場の記事一覧
慈眼院について 長齢山 慈眼院観音寺(ちょうれいざん じげんいんかんのんじ)は本尊・十一面観音などが安置されていて、昔から地元の農家や商家より五穀豊穣、商売繁盛、現世利益を祈るお寺として、信仰を集めてきました。 藤堂高虎によって今の地に移されたとされており、当時は七堂伽藍を有する大きなお寺だったようで、関の地蔵院との関...
神宮寺について 神宮寺は本堂の御倉堂が1634年に建てられた、津市で最も古い建物があるお寺です。 本堂内の本堂内の三十六歌仙扁額は江戸時代初期に津藩加判奉行の玉置甚三郎が若い頃書いたもので、補修のあった際、和歌部分を谷川士清が筆者した事でも知られています。 「三重四国八十八ヶ所霊場 第70番」 神宮寺へのアクセス 住所...
福満寺について 延命山 福満寺は平安中期創建と言われ、本尊の延命地蔵菩薩は当時のものがそのまま残っており、江戸時代の火災と太平洋戦争の戦災で堂のすべてが喪失した際も、疎開して無事だったようです。 子のお寺に伝わる話として「願掛けの蝋の木」があり、動物とのゆかりも深いことから、動物供養地蔵菩薩がされており、地蔵様の足元に...
石上寺について 那智山 石上寺(なちさん せきじょうじ・Nachi san sekijou ji)は大和国の住人・紀真龍(きのまたつ)が、石上神宮の神告により、この地に那智山熊野権現を勧請し、新熊野三社として祀ったのが始まりで、弘法大師が地蔵菩薩を刻み堂を建立して、那智山石上寺と名付けたのがはじまりと言われています。 ...
弘法院について 宝生山 弘法院(ほうしょうざん こうぼういん・Houshou zan koubouin)は1932年に当時の和尚秀範奇水が、本尊に弘法大師を祀って、今の地に寺院を建てたのがはじまりで、歴史こそ浅いものの、年間を通じていろいろな行事を行っており、「亀山の弘法さん」として親しまれています。 境内には大日如来...
蓮光寺について 榊宮山 蓮光寺(しんぐうざん れんこうじ)は古い住宅地の中にあるお寺で、亀山市の文化財に指定されている恵心僧都の作と伝えられる十一面観世音菩薩を観音堂に祀っています。 この観音はもともと近くの慈眼寺に祀られていましたが、火災や廃寺を経て2体のうち1体を連光寺で祀るようになったそうです。 観音像が安置され...
護願寺について 護願寺は「中河原のお大師さん」として地域の人々から多くの信仰を集めたお寺で、本尊は薬師如来が祀られ、難病平癒などのご利益があると言われています。 「三重四国八十八ヶ所霊場 第68番」 子安地蔵院へのアクセス 住所:〒514-0018 三重県津市中河原325 最寄り駅:津駅から1.9㎞ 子安地蔵院を巡る旅...
野登寺(下寺)について 野登寺(下寺)(やとうじ したでら・Yatou ji shita dera)は野登山の山上にある野登寺(上寺)から8㎞程の距離にあるお寺で、1717年に亀山城主・板倉重治が、板倉家の祈願所として、上寺に模して建立されました。 以後、代々の亀山城主から上寺とともに厚い信仰を受けていました。 かつて...
神宮寺(丹生大師)について 弘法大師の師である勧操(ごんそう)大徳によって開山され、その後この地を訪れた弘法大師が七堂伽藍を完成させたと言われています。 女人禁制の時代、女性が参詣できたため別名「女人高野」と言われ、地元では「丹生大師(空海・弘法大師のこと)」としても親しまれている「女人高野山丹生山神宮寺成就院」を号し...
子安地蔵院について 地蔵院は当時の領主・乙部藤政が信仰した子安地蔵尊を祀ったのが始まりとされる真言宗醍醐派のお寺で、この子安地蔵尊に安産祈願をし見事念願成就した故事より安産、育児にご利益があると広く信仰されるようになりました。 所蔵している「絹本著色地蔵菩薩像」は鎌倉時代に制作されたものにしては、保存状況がきわめてよい...
神宮寺について 福満山神宮寺(ふくまんざんじんぐうじ・Fukumanzan jinguuji)は8世紀前半に、行基によって伊奈冨神社境内に創建されたと伝わるお寺です。 平安時代に作られた持国天と多聞天の二天立像と薬師如来立像の3体の仏像が、国の重要文化財に指定されています。 三重四国八十八カ所霊場 第18番 四国にある...
三重ランウォーク検索
ラン⇔ウォークシステム
運営会社:合同会社ランシス